海外の企業が日本法人を立ち上げるとき、最初に用意されるのは本国の営業資料の日本語版と、本国と同じ CRM のパイプラインです。それで売れることもあります。ただ多くの場合、最初の数か月で「商談は進んでいるのに決まらない」「担当者は前向きなのに、そこから先が見えない」という状態になります。製品が悪いわけでも、翻訳が悪いわけでもありません。買い方が違うのに、売り方を変えていないことが原因です。
私はこれまで、Twitter Japan と Flywheel Digital Japan という外資系企業の日本法人で営業をしてきました。現職も外資系 IT 企業の日本法人です。とくに Flywheel Digital Japan は 10 人に満たない日本法人で、営業の流れやデータの管理を作り直す側にいました。この記事では、日本法人の立ち上げ期に、翻訳の先で何を作り直す必要があるのかを、営業と Go-to-Market の実務に絞って書きます。読み手として想定しているのは、日本のカントリーマネージャーや日本での最初の採用者、本国で日本を担当している方です。
翻訳しただけでは売れない理由
本国の営業のやり方は、本国の買い方に最適化されています。たとえば、現場の担当者が気に入れば試用が始まり、そのまま担当者の判断で契約が決まる。カード払いで月額から始められる。導入事例は有名なロゴを並べれば伝わる。こうした前提が日本でも同じように成り立つとは限りません。
日本企業の買い方を一言でまとめるのは乱暴ですし、スタートアップや外資系の顧客なら本国と変わらない動き方をする会社もあります。それでも、日本法人の立ち上げ期によく出会う違いはおおむね次のようなものです。
| 項目 | 本国の前提になりがちなこと | 日本で起きやすいこと |
|---|---|---|
| 決め方 | 担当者が気に入れば決まる | 担当者が社内の稟議を通して決まる。関係部署の合意が要る |
| 信頼の根拠 | グローバルの有名ロゴ | 同業・同規模の国内企業の導入事例 |
| 買う経路 | メーカーから直接 | 代理店や既存の取引先を通して買う |
| 契約・支払い | 英文契約、カード払い、本国の標準条件 | 日本語の書面、請求書払い、年度予算に合わせた時期 |
| 提案資料 | 機能を網羅した長いデッキ | 社内に回覧できる短い資料 |
表の右側は、どれも「日本は特殊だ」という話ではありません。誰が決め、何を根拠にし、どこを通って買うか、という購買の仕組みが違うだけです。仕組みが違うなら、営業の側もそれに合わせて設計し直せばよい。以下では、その作り直しを順番に書きます。
購買プロセスの違いを、提案の設計に織り込む
目の前の担当者は、稟議を書く人だと考える
日本の法人営業で最初に意識を変えるべきなのは、商談相手が「決める人」ではなく「社内に説明する人」であることが多い、という点です。担当者が前向きでも、そこから先には稟議書があり、上長や関係部署への説明があり、場合によっては情報システムや法務の確認があります。
このとき営業がやるべきことは、担当者を説得することではなく、担当者が社内で説明するための材料を渡すことです。導入の目的、比較した他の選択肢、費用と期待できる効果、想定されるリスクとその対処。担当者がそのまま稟議に転記できる形で渡せると、商談の止まり方が変わります。
私は Twitter Japan で、高額な予約型の広告商品(TRP)を販売するときに、広告主、広告代理店、調査会社、社内の関係者を横断するプロジェクトとして進めたことがあります。関係者が増えるほど、一人ひとりが「自分の上に何を説明すればよいか」を持っている必要が出てきます。合意を積み上げる進め方は時間がかかるように見えますが、関係者それぞれが説明できる材料を先に配っておけば、むしろ後戻りが減ります。
国内の導入事例を、最初の資産にする
本国の営業資料には、たいてい有名企業のロゴが並んでいます。日本でもまったく効かないわけではありませんが、検討している側が知りたいのは「自分たちと同じような国内の会社が使って、うまくいっているか」です。業界と規模が近い国内の事例が一つあるだけで、稟議の説明はずいぶん楽になります。
そのため、日本法人の最初の数社は、売上としてだけでなく、事例を作るための顧客として扱う価値があります。導入後に話を聞かせてもらう、社名を出してよいか相談する、といった関係を最初から作っておく。最初の顧客の取り方については、新規事業で最初の10社を獲得する方法に詳しく書きました。
代理店を通して買う顧客がいる
業界によっては、顧客が製品を直接買わず、普段付き合いのある代理店を通して買うことが当たり前になっています。Flywheel Digital Japan で私が担当していた Perpetua は、Amazon 広告や DSP などのリテールメディア広告を自動で最適化する SaaS で、顧客には EC 事業を展開するエンタープライズ企業から SMB までのブランドに加えて、広告代理店もいました。広告の運用を代理店に任せているブランドにとっては、代理店がどう評価するかが判断の大きな部分を占めます。
こうした市場では、代理店は販売チャネルであると同時に、顧客の判断に影響する存在です。直販だけで進めていると、商談の途中で「代理店にも聞いてみます」と言われて止まります。代理店との関係をどう作るかは、後のパートナーチャネルの節で書きます。
契約と価格は、例外を先に設計しておく
本国の標準の契約条件は、本国の顧客に合わせて作られています。日本の顧客からは、日本語の契約書や注文書、請求書での支払い、年度予算に合わせた開始時期といった要望がよく出ます。一つひとつは小さな話ですが、どれも本国の承認が要るため、商談の終盤で止まる原因になります。
2024年11月、私は Flywheel Digital Japan で、顧客に合わせた特別なプランを作り、条件を社内の複数の部署と交渉したうえで、新規 MRR 3,000 ドルの案件を受注しました。当時の過去最高額でした。この経験から言えるのは、標準と違う条件を出すには、顧客との交渉の前に社内での合意が要るということです。何を変えてよいのか、誰の承認が要るのか、どこまでなら日本の判断で決められるのか。これが決まっていないと、営業は条件を約束できません。
日本の顧客からよく出る要望が見えてきたら、案件ごとに本国と交渉するのをやめて、「日本向けにあらかじめ認められた選択肢」として本国と合意しておくことを勧めます。支払い方法、契約書の言語と形式、開始時期、プランの組み方。営業が商談の場で約束できる範囲が決まっていれば、顧客を待たせずに済みますし、本国にとっても例外が増え続ける状態を避けられます。
提案資料は短く、相手の現状から始める
翻訳した本国のデッキは、たいてい長く、機能の説明が中心です。日本の商談で必要なのは、担当者が社内に回覧できる短い資料です。私も Flywheel Digital Japan では、一枚もの(ワンページャー)の資料を作っていました。
一枚ものに入れるべきなのは、機能の一覧ではありません。相手がいま抱えている課題、それに対して何が変わるのか、国内での事例、導入までの流れ。稟議を書く人が、そのまま上長に見せられる内容です。
もう一つ、商談の入り方も変えていました。Perpetua を提案するとき、私はツールの機能を説明する前に、顧客の商品ページと競合の商品ページを顧客と一緒に見ることから始めていました。相手の現状を一緒に確認するところから入ると、提案が「海外のツールの紹介」ではなく「自分たちの売り場の話」になります。この進め方の背景は、リテールメディア広告とはに書きました。
最初のセグメントを一つに絞る
日本法人の立ち上げ期は、人が足りません。本国の ICP(理想顧客像)をそのまま日本に当てはめて、業界も規模も広く追いかけると、少人数のチームはすぐに手が回らなくなります。最初は一つのセグメントに絞り、そこで事例と勝ち方を作ってから広げるほうが速いと考えています。
絞るときの基準として、私が重視するのは次の三つです。
- 国内の事例を早く作れるか。意思決定が比較的速く、導入後の効果が見えやすい相手
- 決める人に届くか。紹介やパートナーを通じて、決裁に関わる人と話せる経路があるか
- 同じ課題を持つ会社が固まっているか。一社の事例が、隣の会社への説明にそのまま使えるか
ただし、最初に選んだセグメントの仮説が当たるとは限りません。現職で新しい法人向けサービスの立ち上げ期に営業として関わったとき、顧客は私たちが想定していたのとは違う文脈でサービスの価値を見つけていました。最初の 1〜2 社は売上よりもニーズを見つけるための商談だと割り切り、提案の前に社内の関係部署と認識を合わせておく。日本法人の立ち上げでも同じで、本国で売れている理由が日本でも売れる理由になるとは限りません。ICP の決め方はBtoBのICP(理想顧客像)の決め方に、施策の順番は新規事業のGo-to-Market戦略の作り方に書いています。
代理店・パートナーのチャネルを早めに作る
日本に来たばかりの外資系企業は、顧客から見れば「知らない会社」です。製品が優れていても、知らない会社から直接買うことには慎重になります。そこで効くのが、顧客がすでに信頼している代理店やパートナーを通じた販売です。
Flywheel Digital Japan で、私は広告代理店とのパートナーシップを 0 から立ち上げました。紹介のツテがあったわけではなく、ユーザーへのヒアリングから立てた仮説で候補を選び、最初は問い合わせフォームから入りました。そして、パートナーと共催したイベントが、私の経験の中で最も費用対効果の高いリード獲得の経路になりました。イベントへの出展や登壇もしていました。パートナーの顧客に向けて自分が話す場は、知らない会社という立場を一気に越えられる機会でもあります。
日本法人の立ち上げでパートナーを考えるときに大事なのは、直販が軌道に乗ってからではなく、早い段階で着手することです。パートナーとの関係は、立ち上がるまでに時間がかかります。進め方の詳細は代理店・パートナー開拓の進め方にまとめました。
少人数の日本法人で、営業の流れとデータを先に整える
10 人に満たない日本法人では、一人が何役も兼ねます。営業がリード対応からクロージングまで担い、マーケティングも手伝い、本国への報告も書く。この状態で営業の流れが決まっていないと、誰がどの商談を追っているのか、どこで止まっているのかが見えなくなります。
Flywheel Digital Japan では、営業の流れを組み直し、BDR(新規の商談を作る担当)のマネジメントをし、営業データの管理を見直しました。そのときの考え方を、手順として並べます。
- 日本の買い方に合わせて、商談の段階を定義し直す
本国の CRM の段階をそのまま使うと、「担当者は合意したが稟議中」「代理店と調整中」といった日本でよくある状態が表現できません。日本の商談で実際に起きる状態を段階として書き出し、それぞれ何が起きたら次に進むかを決めます。
- BDR から営業への引き渡し条件を決める
どこまで聞けたら商談として渡すのかを決めておく。基準が曖昧だと、BDR は件数を追い、営業は質に不満を持ち、どちらも疲れます。
- 入力のルールを最小限にして、守る
少人数のチームで入力項目を増やしすぎると、誰も入力しなくなります。本国への報告と週次の商談確認に本当に使う項目だけに絞り、それは必ず入れる。
- 日本の段階と、本国の段階の対応表を作る
日本で定義した段階が、本国のパイプラインのどこに当たるのかを一枚にしておく。これが次の節で書く本国への報告の土台になります。
データの管理は地味な仕事ですが、少人数の日本法人ほど効きます。人が少ないぶん、一人が休んだり辞めたりしたときに商談の状況が分からなくなる危険が大きいからです。
本国には本国の指標で報告し、日本の進め方で動く
日本法人の営業責任者が抱える難しさの一つは、日本の買い方で商談を進めながら、本国には本国の指標で成果を説明しなければならないことです。本国はパイプラインの金額、段階ごとの転換率、商談の期間を、自分たちの定義で見ています。日本の商談が稟議や年度予算の都合で長くなると、何も説明しなければ「日本は進んでいない」と見えてしまいます。
私が勧めたいのは、日本の進め方を本国の言葉に翻訳して報告することです。日本で定義した段階を本国の段階に対応させ、なぜこの段階で時間がかかるのかを先に伝えておく。数字が伸びた月にも、何が効いたのかを本国の指標で説明できるようにしておく。Flywheel Digital Japan では、2024年7月に新規 MRR が目標 2,750 ドルに対して 11,117 ドル(達成率 404%)になり、その四半期も 250% を超えました。こうした月に、どの経路からの商談が決まったのかをデータで示せると、次の四半期に何へ資源を寄せるかの議論が本国とかみ合います。
本国への報告では、次の四つを先に伝えておくと、後の説明が楽になります。
- 日本の商談段階と本国の段階の対応関係
- 日本で商談が長くなる段階と、その理由(稟議、年度予算、代理店経由の調整など)
- 売上になる前に積み上がっている先行指標(国内事例の数、パートナー経由の商談、イベントからの商談)
- 本国に承認してほしい日本向けの例外と、それが必要な理由
本国にとって日本は、多くの国の一つです。日本の事情を理解してもらうことを期待するより、本国が普段見ている指標の中に日本の事情を置いて見せるほうが、話が早く進みます。
外部に頼むなら、どう頼むか
日本法人の立ち上げ期には、外部の人に営業や Go-to-Market の立ち上げを頼む選択肢があります。日本での最初の採用がまだ決まっていない、カントリーマネージャーが一人で全部を見ている、本国が早く日本の数字を見たがっている。こうした状況では、正社員を採用するまでの間や、採用と並行して、外部の人に一部を任せることが現実的です。
頼むときは、成果物と判断の範囲を先に決めておくことを勧めます。
- 何を作ってほしいか。 最初のセグメントの仮説、日本向けの商談の段階と報告の形、一枚ものの提案資料、パートナー候補の選定と最初のアプローチなど
- どこまで判断してよいか。 顧客に約束できる条件の範囲、本国との窓口を誰が持つか
- 何をもって終わりとするか。 社内の担当者に引き継げる状態とは何か。属人的な営業を残すのではなく、仕組みとして残すことを目的にする
私は外資系企業の日本法人で、営業の流れとデータ管理の作り直し、代理店とのパートナーシップの立ち上げ、社内を横断した条件の交渉を実務としてやってきました。日本市場での売り方を一緒に作り直す支援は、新規事業・サービスの Go-to-Marketとしてお受けしています。営業だけでなく、事業運営やマーケティングを含めて日本法人の立ち上げ全体に関わる形は、COO/CMO としての参画に書いています。
よくある質問
本国の営業資料を翻訳して使ってもよいですか?
製品の詳しい説明資料としては、翻訳で十分なことが多いです。ただ、最初の商談で使う資料と、担当者が社内に回覧する資料は、日本向けに作り直すことを勧めます。国内の事例、相手の現状、導入までの流れを短くまとめたもののほうが、稟議を書く人にとって使いやすいからです。
代理店経由で売ると、利益率が下がりませんか?
一件あたりの利益は下がることがあります。その代わり、知らない会社という立場を越えるための信頼と、自社の営業だけでは届かない顧客への接点が得られます。立ち上げ期の少人数の日本法人では、営業の人数が売上の上限になりやすいので、直販と代理店経由の両方を持っておく意味は大きいと考えています。
本国の ICP は、日本でも使えますか?
出発点としては使えます。ただ、日本で同じ属性の会社が同じ理由で買うとは限りません。最初の数社の商談で、誰が決め、何をきっかけに検討を始め、どんな言葉で課題を話すかを確かめ、日本版として書き直す前提で使うのが現実的です。
まとめ
- 日本で売れない原因の多くは翻訳ではなく、買い方の違いに売り方を合わせていないこと
- 担当者を説得するより、稟議を書くための材料を渡す。国内の導入事例を最初の資産にする
- 契約と価格の例外は、案件ごとに交渉せず日本向けの選択肢として本国と合意しておく
- 最初のセグメントは一つに絞り、代理店・パートナーのチャネルは早めに着手する
- 少人数のうちに営業の流れとデータを整え、本国の指標に翻訳して報告する
日本法人の立ち上げは、本国の製品を日本語で売る仕事ではなく、日本の買い方に合わせて売り方を一つずつ作り直す仕事だと考えています。